いざない

どれだけ泥酔しても人と話すときはしっかりしているのに、少しのお酒でも文章を書くのは無理らしい。元より少しのお酒でも実はけっこう酔ってしまう。缶ビール一本でとろとろに酩酊している。

 

ということで、ほんの少しだけ、頭を使わなくても書けそうなことを。

 

今日から彼女が5日間の禅修行に出かけるので、昨晩から家にお邪魔していた。部屋に入ってしばらくして、明らかに異常な量の祝福があたり全体を覆っていて、老師が坐にいざなっておられることに気づいた。(今も意識を入れるとものすごい恩寵を感じる。言葉が書けないのはそのせいもあるだろう)空気がきらめいており、懐かしいような、愛しいような、ともかくありがたいオーラが満ち満ちていて、言葉が消える。存在していることの奇跡がからだ全体で感じられるような、圧倒的な愛が直接注入されるような感覚だ。

「老師が招いてくださってるんだね」と言うと、一週間ほど前からそうだと言う。あら。今頃気づくなんて僕はずいぶんうっかりしていたな。思い込みだったら恥ずかしいと思ったけれど僕がそう言うならそうなんだろう、とも言っていて、僕としては間違いなくそうだと思う。

ああ、これを正しく受け取れる人がどれだけいるだろう。受け取れている彼女はきっと心から歓迎されるはずだ。どうぞ素晴らしい接心となりますように。

 

離れていても心はかよう。

それはいい意味でも悪い意味でもそうなのであって、普段、人々は呪いの応酬に明け暮れている。そのなかでなお絶対的に善いものだけをやり取りしようと願う僕にとって、まったく無心の愛を、ひたすらに放射し続けている方々の存在は、本当にありがたい。

 

意識の極北に言葉は無用だ。ただ愛だけが、愛を愛してやむことがない。

ゆりちゃん、接心がんばってね。

 

合掌