自己分析について

自己分析は、空の場から為されない限り虚しい。意識の場に於いてはそれは全く当たり前に「自己を捉えることによって自己に捉われる」結果になってしまう。つまり、そもそも誰が何を分析するかということが明らかでなければならない。

愛をもって、他に開かれた自己をさらに開かせるような意図でもって、仮に為すという仕方であれば、自己分析は有用となるだろう。衆生無辺誓願度の特殊な展開を辿る仕方であれば、それは有益であろう。無執着で優しく、遊びと喜びをもって自己をみつめよう。

君は何が好きで、どんなことをするために生きているの?

言葉がたましいのどの深みから出ているかによって、意味は変わり、それは「奇跡的な一致」によって、相手のたましいにまで響く。「奇跡的な一致によって」ということは、相手が自己の放棄によってその言葉を受け入れることができたらという意味だ。そうすることも、そうしないことも相手の自由だ。