自己開示

読書会に来てくれたり、一緒に瞑想する友達を別として、あまり人から理解されることがない。そもそも何も考えないでいるというのもあるし、あまりにも常軌を逸した世界を生きているからでもある。

普通の人が考えたり大事にすることを全く考えず、捨て去っているし、代わりに誰も考えず、気にもとめないようなことを非常に大切にしている。

それは例えば瞑想や神、愛や美しさといったものだけれど、それらは言葉にするのが難しい。本当に打ち解けた者同士でだけ、恥じらいつつ話せるものだと思う。でも僕が考えたり大事にしたりしているのはそれらだけだから、そして、それらを人々と共にすることだけを生きる意味としているから、理解されないことは悲しい。僕が、理解されないことが悲しいのではなく(それもあるけれど)愛が、つまりその人自身が、無視されているようで悲しく思う。

 

読書会や瞑想の場で実際に誰かとお会いするとき、その場でただ愛だけが満ちるように心を配る。部屋の明るさや暖かさ、こちらの表情や言葉遣いなど様々なことを気にかけつつ、ただ愛だけであることを大切にする。何を話すかというのはかなり後になってからの問題だ。そして言葉というものは沈黙から生まれるものであり、沈黙へと誘うものでなければならない、と思っている。

 

ということで、言葉だけで自分を表現することが得意でない。ここではおずおずと自己を開示する練習をしてみたい。